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アジア通信
第5号 2009年9月30日発行
目次
1
ANMC21共同事業の紹介
ANMC21共同事業のひとつ「アジアの若者の交流」に関連して、「2009ジュニアスポーツアジア交流大会」が東京で開催されましたのでご紹介します。
2
大都市の先進的な取組
(1)FROMソウル ~「世界大都市気候先導グループ(C40)会議」とソウル市の地球温暖化対応施策~
今年5月にソウルで開催されたC40会議は、マスコミを通じて大きく報道されました。開催都市ソウルからのレポートと、現在取り組んでいる地球温暖化対応施策をご紹介いただきます。
(2)FROM東京 ~下水道汚泥の資源化への取り組み~
東京都では、下水汚泥の減量化及び資源化の推進が喫緊の課題となっています。下水道局では、下水処理の際に発生する汚泥を火力発電所で使用する石炭の代替燃料として利用する、日本でも初めての取組を行っています。
3
東京で学ぶ留学生
今回は、インドネシアからの留学生で流体工学に関する研究を行っているノノさんと、担当教授の水沼先生にお話を伺いました。
4
東京の企業紹介 「『メイド・イン・途上国』ブランドを世界に」~マザーハウスの挑戦~(1/2)
世界に進出する東京の中小企業を紹介します。バングラデシュを舞台に活躍する株式会社マザーハウスを2回にわたって取り上げます。
ANMC21共同事業の紹介
ANMC21では、大都市に共通する課題を解決するため、アジアの首都及び大都市が協力して共同事業を進めています。今回は、「アジアの若者の交流」共同事業に関連して、「2009ジュニアスポーツアジア交流大会」を紹介します。

2009ジュニアスポーツアジア交流大会
 東京都では、8月24日(月)~31日(月)までの8日間「2009ジュニアスポーツアジア交流大会」を開催しました。本大会は、アジアのジュニア選手の競技力向上と国際交流を通じた次世代の人材育成に貢献することを目的として実施しています。
 第3回目となる今年のジュニアスポーツアジア交流大会では、昨年同様、バドミントンと柔道の2種目が行われました。今大会は、選手、監督、コーチを含め16都市から合計322名が参加する大盛況となりました。
 交流大会では、トーナメント方式による交流試合、オリンピックメダリストによる指導練習(国際スポーツキャンプ)、都内の学校を訪問する文化交流などが行われました。特に交流試合は、海外の選手との対戦を通じ、精神面や技術面ともに成長する貴重な経験の場となりました。


【文化交流】
 交流大会で注目するべき点は、選手のスポーツ交流だけでなく、実際に都内の中学・高校を訪問して授業、給食、部活動などを体験する文化交流を行っていることです。この学校訪問は、選手達がお互いの文化の違いを理解し、日本文化や東京の魅力に触れる良い機会となっています。
 今回は、西早稲田中学校で茶道を体験したハノイのバドミントン選手のお二人にお話を聞いてみました。

左からボランティアの田中友理さん、HUYENさん(15)、DUCさん(13)
左からボランティアの田中友理さん、
HUYENさん(15)、DUCさん(13)
お茶の体験授業の様子
お茶の体験授業の様子

-茶道の体験はいかがでしたか?
(DUCさん) ベトナムのお茶とは味が違います。今まで試したことのない味が体験できて、とても新鮮でした。日本のお茶もおいしいので好きです。

(HUYENさん)日本の学校ではいろいろな体験ができました。ベトナムの学校では日本の茶道の体験はできないので、楽しかったです。

-今回、日本に来て印象に残っていることは何ですか?
(DUCさん)皆さんが親切でやさしいことです。また、道路や街がとてもきれいで驚きました。

(HUYENさん)観光で訪れた皇居が特に気に入りました。緑が多くてとてもきれいでした。また、水族館も印象的でした。ベトナムでは、こんなにたくさんの種類の魚を見たことがありません。

-最後に将来の夢を教えてください。
(DUCさん)バドミントンの選手としてオリンピックに出場することです。世界一強いバドミントンの選手になりたいです。

(HUYENさん)私もバドミントンの選手としてオリンピックに出場したいです。今回のスポーツ交流の経験を活かして、ベトナムでもバドミントンの練習に励みたいです。

お二人ともとてもフレッシュ、そして頼もしい選手です。
最後に、このジュニアスポーツアジア交流大会を運営するにあたっては、多数のボランティアの方々にご協力いただいています。地域の人々の支援や協力は、スポーツの振興にも繋がります。

ジュニアスポーツ選手の皆様の更なるご活躍を心からお祈りしています。

大都市の先進的な取組
ANMC21会員都市が行う、先進的な取組を紹介していきます。

(1)FROMソウル
~「世界大都市気候先導グループ(C40)会議」とソウル市の地球温暖化対応施策~
 今回は、本年5月に開催された「世界大都市気候先導グループ(C40)会議」について、開催都市であるソウル市からご報告します。

C40とは
 近年、地球温暖化が年々加速しており、平均気温の上昇や海面水位の上昇などにより、猛暑、渇水、洪水、感染症の拡大や食糧危機など、世界的規模で生態系や人間社会への影響を与えています。5~6年のうちに思い切った手を打たなければ、人類にとって破局的な事態を招きかねません。
 C40とは、世界五大陸の40大都市で構成する、世界大都市気候先導グループ(The Large Cities Climate Leadership Group)のことで、国際的、国家的努力とは別に、都市レベルの気候変動への取り組みが必要であるという認識の下、世界の各大都市が自発的に設立した協議体です。2005年に、ロンドン市長の提案により、温室効果ガスの排出削減に取り組む18の大都市からなるネットワークとしてスタートし、2007年にはニューヨークで51の大都市が集まって第2回会議を開催、本年5月には、ソウル市で第3回目の国際会議を開催しました。

ソウル会議開催の意義
 ソウル市は2006年にC40気候リーダーシップ・グループの会員都市となり、ニューヨークで開かれた第2回の会議で第3回の会議をソウルで開くことが決まりました。今回のソウル会議は、世界41ヶ国の80余りの都市の市長級などおよそ1,040名が出席し、歴代の最大規模の会議になりました。マスコミの取材競争も激しく、気候変化がグローバルイシューであることを実感させました。特に開幕式には、ビル・クリントン元大統領がキーノートスピーカーとして出席し、世界の各都市政府が気候変動に積極的に先導に立ってもらうことをお願いしました。
 今回の会議では、「都市の気候変化対応成果と課題」をテーマに、「気候変化と経済危機」「低炭素政策方向」など7つの本会議と23の分科会を行いました。
 なお、会議期間中は、COEX(韓国総合展示場)で三星物産、現代自動車、ハニーウェルなどのグリーン産業におけるグローバル先導企業が多数参加する気候変化博覧会を開催し、参加都市に気候変化関連の先端技術と情報とを提供しました。
 その他にも、今回のソウル会議では、参加都市間の実質的な交流・協力を深めていくために、気候変化関連の最新施策と模範的な事例などを交換するためのMOU(覚書)を締結するなど、相互包括的な協力関係に大きく寄与しました。
 最終日に採択された「ソウル宣言」では、温暖化ガス排出量の多い都市への環境指針などがまとめられたほか、低炭素化を目指すことを各都市共同の目標とすることが採択されました。
 ソウル会議では、呉世勲オセフンソウル市長が、2020年までに再生可能なエネルギーの比率を20%に拡大するとのソウル市の目標を紹介し、代表的な気候変動対応政策として建物のエネルギー合理化事業、自転車専用道路の設置、漢江ハンガンの川辺の緑地を拡充する漢江ハンガンルネッサンスなどの事業を紹介しました。

ソウル市における地球温暖化対策の取り組み
 ソウル市では、すでに2007年ソウル親環境エネルギー宣言を通じて2020年までに温室効果ガスを25%に削減するというビジョンを提示しています。また、「親環境建築基準」を発表するなど、実質的な努力を続けています。
 また、この1年余りでソウルの大気中のほこりが10%以上減少したことをアピールしたほか、市内バス約7600台のうち6000台余りを環境に配慮した圧縮天然ガス(CNG)バスで代替し、来年中に100%交替を完了する計画などについて説明しました。

自転車専用道路の造成事業について
 ソウル市では、2014年までに総距離400キロメートルの自転車道路を設置しソウル市内を結ぶ事業に取り組んでいます。現在ソウル市では自動車だけを主な通勤手段としている都市は、気候変化と交通渋滞の問題に対応できないとの判断の下で、自転車で通勤ができる都市にするために努力しています。自転車道路の整備は、環境にやさしいとともに、交通渋滞の解消にも結びつくことが期待されます。


このような具体的な環境政策を推進し、ソウル市は、環境先進都市として、地球温暖化の防止に積極的に取り組んでいきます。


(2)FROM東京 ~ 下水道汚泥の資源化への取り組み ~
東京都では、下水汚泥の減量化及び資源化の推進が喫緊の課題となっています。
下水道局では、2007年11月から、東部汚泥処理プラントで「汚泥炭化事業」を開始しています。

 この事業は、下水処理の際に発生する汚泥から炭化物を製造し、火力発電所で使用する石炭の代替燃料として利用するという、日本でも初めての取組みです。
今回は、都が取り組んでいる汚泥炭化事業を紹介します。

事業のスキーム
 東京都は、年間99,000tの脱水汚泥を20年間にわたり事業者に供給、炭化物の製造を委託します。
 事業者は、製造した約8,700tの炭化物を都から買い取り、電力会社に販売します。電力会社は、火力発電所で使用する石炭に炭化物を混合して発電します。
事業スキーム
資源化の推進
 東京都では以前から脱水汚泥を全量焼却した上で焼却灰をセメント原料や建設用資材へ活用するなどの資源化を行ってきました。2007年度における資源化率は約65%となっています。
 事業者に供給する年間99,000tの脱水汚泥は、東京都区部全体で1年間に発生量する脱水汚泥の約1割に相当し、資源化のさらなる推進に貢献しています。

温暖効果ガス削減への貢献
 汚泥焼却の過程で排出される温室効果ガスの量は、下水道事業全体の約4割を占めています。炭化物の製造過程では、従来の汚泥焼却処理に比べて、約8割の温室効果ガスの削減を実現します。
 これは、従来の汚泥焼却に比べると、年間37,000tものCO2削減効果があります。

バイオマス燃料による発電効果
 火力発電所で使用される炭化物による発電量は、約2,000軒の一般家庭が年間に使用する電力エネルギーに相当します。
 京都議定書では、バイオマス燃料から出る二酸化炭素は温室効果ガスの排出量としてカウントされないこととなっており、火力発電所における温室効果ガス排出量の削減に寄与します。


本事業は、今後も引き続き、下水汚泥の資源化を進めるとともに、温室効果ガスの削減によって地球温暖化防止に貢献することが期待されています。
東部汚泥処理プラント
東京で学ぶ留学生
 東京都では、首都大学東京においてアジアの各都市から留学生を受け入れ、都市問題の解決やアジアの発展に結びつく高度先端的な研究の推進を図っています。
 今回は、インドネシアからの留学生で流体工学に関する研究を行っているノノさんと、担当教授の水沼先生にお話を伺いました。

Interview インドネシアからの留学生ノノさん

ノノさん
ノノさん
—首都大学東京で学ぼうと考えたきっかけは何ですか?
 まずは自己紹介をさせてください。私はノノ・ダルソノと申します。インドネシア出身です。首都大学東京で研究を続けることができ、大変うれしく思っています。ここでの研究を終えたら韓国で修士課程を修了します。また私には将来、韓国以外の国で博士号を取得するという目標があります。いろいろな国で研究を続けるのは、多くの経験を積み、将来のためにネットワークを築きたいからです。日本の首都大学東京で研究を続けることは、私にとってその目的を実現するための一つのステップです。日本はアジアの先進国です。科学・技術の急速な発展を遂げ、高水準の経済レベルを保っています。日本に留学することで、私はさらに自分の研究を進め、同時に科学・技術を学ぶ機会を得ることができます。日本語や日本の文化を勉強する機会もあります。インドネシアと日本は良好な関係を築いています。日本はインドネシアからの留学生たちに奨学金を支給しています。インドネシアでは、ホンダ、トヨタ、カワサキなど日本の大手企業が工場を建設しています。


—あなたの研究の概要を教えてください。
 私の研究テーマは「単層カーボンナノチューブ分散感光性樹脂の凝固挙動の研究および単層カーボンナノチューブ分散システムにおける沈殿と分散の研究」です。カーボンナノチューブ(CNT)とは、シリンダー状のナノ構造を持つ炭素の同素体*で、その容量はナノサイズです。これらのシリンダー状の炭素分子には、電子工学、光学をはじめとする材料に関する研究分野において、さまざまな応用に適する新規特性があります。
*同じ種類の原子からなるが、原子の配列、結合の仕方、性質が異なる単体。例えば、ダイヤモンドとグラファイト(黒鉛)は炭素の同素体である。


—東京での生活はどうですか?
 東京は大都会です。公共交通機関が非常に発達し電車やバスなどが整備されていて、とても便利です。私も電車やバスを使って気軽に東京のあちこちに出かけています。日本は先進国ですが、今もなおアジア的な文化も保ち続けています。日本人はお年寄りや障害者を大切しています。東京は、世界で最も生活費の高い都市の一つです。他の都市、特に私の母国と比べても、全般的に物価が高いです。日本政府からの奨学金で暮らす留学生は、慎重な家計の管理が必要です。病院、銀行、郵便局などの公共サービス施設では英語による案内が十分ではありません。日本語が話せない外国人には日本語で書かれた用紙に記入するのも一苦労です。東京都にはできたら重要書類はすべて英語表記にしていただけたらと思います。

—首都大学東京で研究を終えられた後の目標を教えてください。
 博士課程を修了したら、インドネシアに帰り、研究と技術開発の分野で貢献したいと思っています。私はインドネシアの研究技術省の管轄下にあるインドネシア科学院・冶金学研究センターの研究者です。今後も研究を続けて、首都大学東京で学んだことをさらに深めていきたいと考えています。また首都大学東京と私の母国の職場が緊密な関係を築いていけるように努力していくつもりです。


続いて、ノノさんの指導教授である水沼先生にお話を伺いました。

Interview 水沼 博教授

水沼 博教授
水沼 博 教授
(首都大学東京 都市教養学部
理工学系 機械工学コース
理工学研究科 機械工学専攻)
 私が受け入れている学生はインドネシア大学出身のノノ・ ダルソノさんです。インドネシア大学と私の所属する流体工学研究室とは前任の渡辺敬三名誉教授以来の長い交流が続いています。はじまりは約16年程前にさかのぼり、青島知事の頃にやはり東京都がアジアからの留学生に対して支給した奨学金制度の1回生として、当時の渡辺教授がインドネシア大学からヤヌアルさんを受け入れました。ヤヌアルさんは、その後同じインドネシア大学から来日したブディアルソさんとともに今はインドネシア大学の教授として活躍しており、二人の教授就任式に渡辺名誉教授が招かれたと伺っています。
 今回、留学生の有無をヤヌアルさんに打診し、韓国の嶺南大学の修士課程をでてジャカルタに戻り、国立の研究所で働いていたノノさんを紹介してもらいました。また、ヤヌアルさんが来日した当時は奨学生として修士の学生を対象としていました。現在でもアジアの大学ではたとえ優秀でも経済的事情で修士に行くことが難しい学生が多いので、今のアジア人材育成基金の奨学生も修士を含めて対象にできればそのようなニーズに対応し、かつ欧米に負けずに優秀な人材を招くことができるはずです。

 インドネシアの大学や市内では日本から提供された実験機器や電車が大事に使われており、子供達も家庭のテレビなどを通して日本のJリーグの選手やアニメを私などより実に良く知っており、とても親日的です。学生からも以前研修で日本に滞在していたとか、将来日本で勉強したいという話を良く聞きました。これからも是非このような奨学制度を利用して交流を続けていってほしいものです。

 さて、ノノさんが来日してから気のついた点について話をうつします。私の研究室はもう1つ別の研究室と一緒に一つの独立した実験室で、あわせて20名程の学生が研究を行っています。今は留学生が2名で、3ヶ月後には更に2名増えることになっていますが、ノノさんが来日したときは留学生が1名で言葉の問題を少し心配しました。首都大学東京では、英語教育は一部外部の語学学校に委託して実践的な語学力に力を入れると聞きましたが、少なくともその効果が学生の語学力に表れているようには見えません。しかし、このように留学生が増えることにより、学生が語学力の重要性についてもつ意識がだんだん変わってきたと感じます。17年前にカリフォルニア大学のバークレー校にいたとき、化学工学科で学部の留学生が定員の半分以上になったと聞き驚いたのですが、バークレー程ではないにしても、留学生が増えることは日本人学生にとっても意義深いものです。私もノノさんとのつきあいをその卒業後も含めて楽しむつもりです。


東京の企業紹介
「『メイド・イン・途上国』ブランドを世界に」 ~マザーハウスの挑戦~(1/2)
世界に進出する東京の中小企業を紹介します。バングラデシュを舞台に活躍する株式会社マザーハウスを2回にわたって取り上げます。

前編 バングラデシュへ
 近年、アジアは「世界の成長センター」といわれており、経済の発展が著しいイメージがありますが、アジアの中でもバングラデシュは、国連が定めた後発開発途上国に位置づけられるなど、世界で最も貧しい国の一つとされています。
 今回紹介する株式会社マザーハウスは、バングラデシュ等の発展途上国において、アパレル製品、雑貨の企画・生産・品質指導及び先進国での販売を行う、2006年3月に設立された若い企業です。バングラデシュ産のジュート(麻)を用いた鞄、財布等の製品を現地で製造しています。
入谷本店内の様子。奥には現地スタッフの紹介も掲示されています。


自らホームページのデザインも手掛けるという広報の工藤さん。
 マザーハウス入谷店(本店)で広報の工藤さんにお話をお伺いしました。
 お店に入って、まず目に入るのがカラフルでバラエティに富んだ製品の数々。これらすべてがバングラデシュで造られた、ということに新鮮な驚きがありました。
 「生産はすべてバングラデシュで行っています。最初は、社長の山口が現地の工場に企画をもちこんで製造してもらっていましたが、最近は他の日本人スタッフの企画による製品も販売されています。消費者ニーズにあった商品をつくらなくてはいけないという意味でいろいろとハードルはありますが、ゆくゆくはバングラデシュ人がデザインしたものも製品化したいと考えています。」とのこと。

-そもそもの話になりますが、なぜバングラデシュに行かれたのでしょうか。
 「社長の山口が大学4年の時、ワシントンの国際機関で開発援助に携わる仕事をしていましたが、途上国援助のお金が、どこにどう流れているのか常に疑問に感じていたようです。そして、まずは現場を見なければと思い、『アジア』『最貧国』というキーワードからヒットしたバングラデシュに、アルバイトで貯めたお金をもってすぐに出かけたのが発端でした。」

 その後、現地の大学院にまで進学した山口社長は、ある時、ジュートで出来たバッグを偶然見つけ、その独特の風合いに大きな魅力を感じます。「これを現地でつくって日本で販売しよう。そのことが、形だけの援助ではない、持続的な協力につながる。」と考え、早速生産者を探すところからはじめました。

-現地で生産体制を築くには、様々な苦労があったのでは。
 「はじめは、お金をだましとられたり、パスポートがなくなったりとつらいことの連続でした。また、慣習や考え方の異なる現地の従業員との信頼関係の構築にはとても苦労しました。」

 現地で様々な苦労を重ねてようやく完成した「メイド・イン・バングラデシュ」のバッグでしたが、日本国内において、山口社長が自ら飛び込み営業を行った当初は冷たい反応でした。中には「バングラデシュ」という表示をためらうバイヤーもいたようです。しかし、当初はインターネットでの販売のみ行っていましたが、ある大型量販店との取引が始まったことをきっかけに、その商品の評判はもちろん、マザーハウスの理念も口コミ等で多くの人々に広まり、勢い良く販売数を伸ばしていきます。

-現地の従業員の方々は、売れているという実感が湧いていますか。
 「最近の話になりますが、大手旅行会社と共同企画で、バングラデシュツアーを催行いたしました。弊社工場に訪れていただきましたが、現地の従業員にとっては初めて目にする、自分たちが作ったバッグのお客様。モチベーションを大いに高めたようですよ。」

-ところで、社名のマザーハウスの由来は。
 「社長の山口が尊敬するマザー・テレサの「マザー」に、当社がつくりたいと考えているストリートチルドレンたちが安心して住める家「ハウス」を合わせました。」

 しかし、やっと船出したマザーハウスに、思いがけない試練が待ち受けていました。次号では、バングラデシュを襲ったサイクロンや現地における支援活動についてお伝えします。