インドネシアのアエプサエフルバッフリと申します。首都大学東京博士課程後期留学生です。以下の通り2011年3月11日の東日本大震災後の報告をさせていただきます。
2011年3月11日13時から東京の永田町にある日本全国老人福祉施設協議会で介護国家試験対策の教科書を作成ミーティング中にいきなり建物が揺れていて、「あ、地震だ。」と皆が合唱みたいに同じ声で言っていた。そのとき私たちはまだ隠れようとしなかったが、揺れがだんだん大きくなって怖かったから机の下に隠れながら、心の中には「このぐらいの地震だったら、津波が起こる恐れがあるのじゃないかな」という心配もあった。また、そのとき、「ア、もしかしてここに死ぬのかな。」と思うぐらいの気持ちだった。地震の揺れが止まっていても建物の揺れはまだ続いていて落ち着くまでだいぶ時間がかかった。建物の揺れが落ち着くのを待ちながらテレビをつけてニュースを見ると白波の画像が映って、スマトラのアチェーの津波の時を思い出すと「ア、それは津波だ」って日本人の友達に言っていた。白波からだんだん大きな波に代わって船、車、住宅などが流されて、火事もあちこち見られた。私が心配したことが実際に起こった。そのとき、私が好きな日本の姿を津波で破壊されている姿を見て本当に泣きたいほど悲しかった。建物の揺れはなかなか止まっていないので、皆が出て外で集まった。色々な建物から出てきた人達の顔を見たら皆怖そうな表情だった。
地震が止まっていても気持ちはまだ落ち着かなかった。地下鉄、電車などが止まっている状態なので帰宅をどうしたらいいかと考えながらとりあえず東京駅まで歩いていこうと思っていた。大勢の人たちと一緒に東京駅に向かってる間に道はどこも渋滞だった。東京駅に着いたら外も中も、つまり東京駅周辺はまるで人間の海のようだった。その時はもう夜7時ごろだった。電車も地下鉄も一本も動いていなかった。おなかがすいたから駅周辺にあるレストランに入って注文してみたら「もう売り切れです。申し訳ありません」と店員が言っていた。レストランに何箇所か入ってみたがほとんどが売り切れか豚肉が入っているメニューばかりなのでコンビニを探そうと思い出したらコンビニへ行くことにした。コンビニへ言ってもほとんどの食品はもう売り切れてしまったが、パンと天然水を買っていた。その後また東京駅に入ってみたが、人でいっぱいで寝る場所を探していた。どこに寝ればいいかと迷っているうちにふと銀座の聖路加病院に働いているインドネシア人看護師候補生のことを思い出して、早速彼にFacebookを通じて連絡して自分の事情を説明した。そのとき彼からは「銀座まで歩いてきてください」というメッセージを受信したら銀座まで行った。銀座のどこにいるのか彼が分かるようにあるビルを携帯電話で写真を撮ってFacebookで送って「私はこのビルの下で待っている」というメッセージを送信した。そして、「はい、分かりました。そちらに迎えに行きますから、まっててください。」と彼は返信してくれた。彼が来てくれてほっとした。彼のアパートへ行く前に食品や飲み物を一緒に買いに行ったが、ほとんどのコンビニではもう売り切れてしまい、何箇所か回ってからやっと食品や飲み物がまだ残っているコンビニもあった。そこで食べられるようなものと飲み物を一日一泊分を買った。その後、彼のアパートに行き、ついたらいろいろなお互いの体験したことを話そうとしたら余震が起こって建物も揺れていた。小さい震度だったが怖かった。その夜は怖い気持ちでありながら二人でお互いの経験したこと話した。彼は看護し候補者だから、大きな地震時は、まず大事なことは患者さんを助けるということだ。二人とも眠れなかったその夜には余震がなくても自分の体はゆれているような感じがした。眠れなかったからインターネットで家族や友達とチャットをし、自分は無事だということを伝えた。家族も友達も無事だという情報を聞いて安心してほっとしていた。そのとき家族からも友達からも日本が復興・復旧できるように祈っていますというメッセージがたくさん来た。日本人の友達からも私の無事確認のメールがたくさん来ていた。
次の日の3月12日土曜日、余震はまだ続いていて、電車や地下鉄のニュースを聞いたら、どの電車が動いているか、動いていないか見合わせしているか分かってようやく友達のアパートを出た。表参道まで銀座線に乗って、千代田線に乗り換えて代々木上原まで行って、小田急線に乗り換えて新百合ヶ丘まで行った。新百合ヶ丘からまた多摩センター駅まで多摩線小田急線に乗った。駅からアパートまで歩いて行って着いたら家中を見て地震で落ちたり壊れたりしたものがあるかを確認した。一つも落としたり壊れたりしたものがないと確認できたからほっとした。その夜にまたテレビをつけて被災地の状況のニュースを聞いていたら、日本政府によって福島の原子力電気発電所の爆発や節電対策を発表されたというニュースがあった。各地域に一日3時間で決まった時間帯に節電しなければならないという発表があった。
地震、津波、放射性物質、節電でいろいろな混乱が生じた。節電でなれていない日本人が初日の節電対策の時に駅に行ったら大混乱が起きた。学校や会社などへ行けなくなったり用事、打ち合わせ、約束などができなくなったりすることもあった。放射性物質は地震以上怖いものです。これが一番皆が心配しているものです。家族も友達も心配してくれた。放射生物を避けるために一時帰国したほうが言いというメッセージも来たが、日本政府は国民の安全・安心のためにきっとやってくれるからと信じて心配する必要がないと私は思ったから帰らなかった。
最後に、私は日本の力を信じて、早く復興・復旧できますよう心からお祈り申し上げます。
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