REPORT:東京都知事本局国際共同事業担当(川崎市から派遣) 大瀬 寛
私は、川崎市から1年間派遣され、アジア大都市ネットワーク21(ANMC21)事務局の職員として業務に携わりました。1年間を振り返り、担当業務やそこから得た経験について、ここに記したいと思います。
その前に、まず私の自己紹介を簡単にさせていただきたいと思います。私は、行政職員となる以前、半年以上の間、バックパック片手に東南アジアを中心にアジアの国々を一人で旅をしていました。その後もなお、その時に味わった景色、文化、人々との交流、そして未来へと進む躍動感に、引き続き日々の生活のなかで胸を焦がしていました。
そんな記憶が次第に薄れ始めたころ、様々な偶然も幸いし、東京都庁の国際部門で1年間仕事をする機会をいただくことになりました。忘れかけていた思いが強く甦り、その時に感じたような不安と期待に胸を膨らませながら、2012年4月の着任を迎えました。
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世界都市サミットと21展示
さて、私の担当業務のうち、特に思い出深かったANMC21展(21展)を中心に話を進めたいと思います。21展とは、例年ANMC21総会と併催して都市の施策・観光・文化のPRを広く一般の方々に行っているもので、会員都市のPR、ANMC21共同事業の紹介、こどもの絵の展示、そしてそれぞれの文化をPRするステージパフォーマンスから構成されています。
シンガポールの大型総合リゾート「マリーナ・ベイ・サンズ」で開催された今回の21展の特徴は、世界都市サミット・エキスポの中で行われ、国際水週間やクリーン・エンバイロ・サミットという大型イベントと同時に開催されたということ。このため、約18,500人の行政・企業関係者などが集う、例年とは色会いの異なるものとなりました。また、全体を主催するシンガポールにより、自都市内に拠点を置く企業の技術紹介などを含む実務性の高いテーマにそって21展が開催されることとなりました。これを受け、今回の東京都の展示テーマを「東京の都市計画とこれを支える優れた企業技術」と設定して、ブース企画案を検討しました。
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会場 マリーナ・ベイ・サンズの全景
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海を背にステージの背後から
開催に至るまでは、全く新しい業務とこれまでとは異なる組織の中で、いったいどこにどういったPR資源があるか、どこの誰にどのようにお願いすればいいか、どのように事務を進めればいいかといったところから試行錯誤が始まり、体当たりの毎日となりました。関係部署、協力企業の方々などの支援をいただきながら、着々と展示物の候補が集まってくる一方、それに比例するように必要な調整や事務も膨らんできました。また、お預かりした施策や企業技術による展示物は、どれも多くの方々の苦労と思いが詰まっており、これらを一つ違わず開催日には効果的に展示しなければならないといった責任による重圧もまた比例するように膨らんでいきました。
バタバタとブースの設営を完了すると間もなく、オープニングセレモニーは、華々しくリー・シェンロン首相の挨拶とともに始まりました。展示中は好立地も幸いし、要人を含む多くの来場者がブースに訪れました。また、ブースに展示されたパネルは来場者の関心の視線を浴び、ふんだんに用意されたPR用のグッズやパンフレットは閉会を待たずして底をつきる勢いでした。周囲の華々しい大企業のブースに紛れてもなお、ANMC21、そして、東京の施策への関心の高さが伺われました。
一方、ステージパフォーマンスによる各都市の文化PRは、海に面するマリーナ・ベイ・サンズのイベント会場で行われました。東京都からは公募により選ばれたヘブンアーティストで、背丈が3mを超える怪物と童子が迫力のある演技を披露する「スレイヤーズ」、江戸独楽を用いてスリリングな曲芸などを演じる「こやまやすのぶ」、そしてシンガポールで活動し、威勢のいい和太鼓を奏でる「天鼓」の3組に出演していただきました。また、他の会員都市からは、シンガポール、ジャカルタ、台北が参加しました。
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舞台裏から"サムライ"の登場シーン
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まさに嵐の中?で行われた死闘
威風堂々とマリーナ・ベイ・サンズのビルに臨み、その反対側では高層ビルに囲まれた海が光を湛える狭間のステージで、3日間、各都市の熱演が繰り広げられました。私は、始めこの舞台裏でハラハラ・ドキドキと東京のステージパフォーマンスを見守っていました。公演の途中、急に豪雨に見舞われ、中断して心配する場面もありましたが、すぐに晴れ渡り、行き交う多くの人々に立ち寄っていただき盛況となりました。
やがて、総会や21展の展示も終わったステージの最終日には、ようやくピリピリとした重圧から開放され始め、他の各都市の公演も心を開いて見られるようになりました。スカイラインに沈もうとする夕日で空と海が赤く染まり、各都市の彩りある色彩と音色が交じり合う舞台。どこの都市の演技も素晴らしく、心から応援して見ることができるようになり、私の中ではアジアが一つになった気がしました。また、ステージ下では、お客さんや各都市のパフォーマーの方達が楽しそうに互いに写真を取り合ったり、会話したり、互いに労をねぎらったりしていました。私は舞台裏にいることが多く、その和やかな輪に加わることはあまりできませんでしたが、なんとか21展とともに催事が無事終了したことを実感するようになりました。また、舞台の上では素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられたこと、そして、多くの感動を来場者の方々やパフォーマーさん達と共有できたことをかみ締めるうちに、次第に充実感と喜びが込み上げてきました。
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盛況の中行われるステージ
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夕日の中で舞うジャカルタの演技
最後に、21展の来場者からいただいたとても印象深く、暖かく心強い言葉に触れ、私の思いを終えたいと思います。
その方は、日本からシンガポールに進出している企業を支援する民間の仕事を何年も経験してきている方でした。
「我々は、文化の異なる新しい土地に飛び込み、そこにネットワークを築き、地に根を生やすのに日々とても苦労している。行政がこのように海外で先頭をきって道を切り開き、下地を作ってくれることが、どれほど心強いことか。」
ひとまず21展ブースの設営は完成したものの、今後3日間の展示がうまくいくのか、責任は果たせるのかという不安の中にいた私にかけていただいたこの言葉は、心に強く響くものでした。
私は、アジアは互いに交わりながら、躍進し続けることを強く確信しています。ますますアジアへの思いが強くなるなか、4月にまた川崎市に戻ることとなります。ここで得た経験を活かし、行政マンとしてまたどこかで広くアジアのために尽力することができればと、さらなる思いを強く描いているところです。
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多くの方が訪れた展示ブース
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アジアの多様性が交わるシンガポールの演技
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