『未来の東京』戦略
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後藤新平(写真:国立国会図書館)<1857-1929>後藤新平~100年経っても色褪せない「人間中心」の都市思想~•第7代東京市長を務めた後藤新平は、1923年の関東大震災後、帝都復興院総裁として、「帝都復興計画」を策定した。当時の国家予算を大きく超える壮大な計画は「大風呂敷」と言われたが、昭和通り、靖国通りなどの道路や隅田公園をはじめとする公園など、現在の東京の都市基盤の骨格が整備された。•日清戦争当時、コレラが大流行していた中国から帰還する約20万人の兵士に対して、瀬戸内海の島々に検疫施設を整備し、3か月で検疫を成し遂げた。さらに、台湾総督府民政局長時には、衛生環境改善に尽力し、台湾の公衆衛生の礎を築いた。「人間中心」の都市思想や、世界でも前例のない大規模検疫を実施した大胆な発想と実行力に学ぶべきものが多い。第7代東京市長GotoShinpei今、問われているのは「持続可能性」である。豊かな地球・安全安心な社会を次の世代へつないでいけるかは、今後10年間の具体的な「行動」にかかっている。渋沢栄一と後藤新平をはじめとした先人たちの精神を受け継ぎ、我々の行動で新たな地平を切り拓いていかなければならない。「『未来の東京』戦略」は、大都市東京の責務として、地球規模の大きな課題に果敢に挑戦し克服する中で、成長と成熟が両立した持続可能な都市・東京を創り上げていくための羅針盤である。11

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