<江戸時代の水道>(「水の都」として栄え、玉川上水の清流や豊富な緑が保全された江戸時代の東京)○東京は江戸時代には「水の都」として栄えていた。玉川上水は高度な土木技術により、緩やかな勾配で現在の羽村取水堰から江戸城下に飲用水として引水され、江戸城の堀の水源としても利用されており、玉川上水を基幹として豊かな水環境が構築されていた。○まちなかには河川や水路が張り巡らされ、舟が行き交い、武家屋敷や庭園などでは豊富な緑が保全されており、水と緑は江戸の暮らしや文化に根付いていた。多摩地域では、街道沿いに屋敷林や畑、雑木林などが連続し、崖線の湧水や樹林などが地域の貴重な資源とされ、豊かな水と緑が確保されていた。自然勾配を巧みに利用した玉川上水と分水網が、江戸を豊かな水の都に(出典)都市整備局「東京の都市づくりのあゆみ」(令和元年6月)(出所)国立国会図書館蔵『東京市史稿上水篇第一』所収図87
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