青木亮輔の未来ビジョン

世界に誇る
自然共生都市「東京」

―最初に日本の森林や林業の現状についてお聞かせください。

東京の「森林率」は約36%あります。日本全体では約7割あり、これは先進国の中で、フィンランド、スウェーデンに次いで第3位です。経済大国の日本で7割が森林というのはあまり知られていないと思います。そして日本の森林のうちの半分が、実は人の手によって植えられ、育てられ、長い年月をかけて維持管理されてきたものです。その意味で7割という数字に安心はできないのです。というのも、現在、林業は圧倒的に人手不足です。東京の場合、昭和40年代で2,000人いた従事者が今では200人、10分の1になっています。今後、林業の担い手を確保していく際には、東京にある森林をどのように位置付けていくかということが重要です。東京にとって、森林があることがどれだけプラスになっているのか周知され、適正に維持するには人手が必要だということが理解されないといけない。そして、こうした東京での林業にやりがいを感じて、自分もやってみようという人材を育てていく必要があります。

確かに林業の分野でも機械化は進んでいますが、急傾斜地が多い日本の場合、作業道の普及率が、森林が割と平坦な欧米に比べ低いのが現状です。作業道は木材搬出だけでなく、林業従事者の労働環境にも直結します。現場まで徒歩2時間というのと車でそのまま行けるというのでは、やはり大きな違いがあります。こうした作業道は公共事業として整備されるのが本来望ましいのですが、現状は私たちが人手不足の中で対応しています。

―森林には二酸化炭素の吸収や生き物に多様な生息場所を提供するといった役割がありますが、ほかにはどのような役割があるのでしょうか。

こうした環境面での役割はまず1つ大きなものとして挙げられますが、東京の森林を考えた場合、都会で暮らしている人はとてもストレスフルな状況に置かれているので、こうした人たちが息抜きのために気軽に行けるのが多摩の森林だと思います。都会で暮らしている人が気軽に森林の中に身を置くことができるような環境を整えることも重要ですし、ストレスを解消して、また気持ちよく働けることで東京の経済にもプラスになるのではないでしょうか。

こうしたことは森林だけでなく河川でも言えます。現在の多摩川は、最後の清流といわれる四国の四万十川に迫るくらい水質が改善されています。多摩川沿いには歩道が整備されていますが、サイクリングやランニングなどで使うには道が狭い。それ以前に川岸まで藪が広がっていて、とても近付ける状況ではない。森林も河川も自然物ですが、どうしても管理するという発想が先に来てしまう。管理するというのは何か起きたら困るというネガティブな捉え方が優先していると思うのですが、私の発想は、森林や河川は人にとって気持ちの良い空間だということ。

東京は確かに36%が森林ですが、世界の森林面積からしたら米粒みたいなものです。こうした森林の役割として、そこを手付かずのまま置いておくことが果たしてプラスなのでしょうか。そうではなく、都民が気軽に森林の恵みを享受でき、より自然を身近に感じられる状況をつくる方が、結果的に自然を大切にすることにつながってよいのではないでしょうか。

―2050年頃の東京の森林について、どのようなイメージを持っていますか。

森林というと、昔は木材生産の場、東京の場合、燃料である炭の生産だったわけですが、これからは人々が何か体験できるフィールドとしてのニーズに応えていくことになると思います。

しっかりとインフラを整備して、まずは気楽に、美術館や映画にでも行くような感覚で、今日は天気が良いから檜原村の山にちょっと散策に行こうよと。山に行けば、例えばベースキャンプ的な施設があって、ガイドが案内してくれて、おいしい空気を吸いながら、おいしいものを食べて、ゆっくり1日を過ごせるといいですね。山へ行くというと、何かこう頑張って、1週間前から準備してというのではなく、気軽に行けることが大切です。

今、山村は人口がどんどん減っているんです。都民がそうした山村に来てくれれば、例えば、檜原村であれば、村にいる人たちが誇りに思うのと同時に、いろいろな仕事も生まれるわけです。ガイドの仕事、林業や農業もあって、ジビエで狩猟の仕事もある。そのような仕事がもう一度注目されることで、今まで地元では敬遠されていた仕事が見直され、村に定住しようという流れに自然となってくると思います。都心とは違った仕事がある山村が若い人で盛り上がっているような2050年になったらいいなと思います。

ただ、2050年というのは今から32年後なんですが、森林の時間軸は100年から数百年です。そういう時間の中で生きてきた人々もいるわけです。現代人というと来年、再来年のことばかり考えていますが、数百年単位で物事を考えるという時間軸があってバランスが取れるのではないでしょうか。

―多くの人々に東京の森林を知ってもらうためには、どのような取組が必要でしょうか。

今、学校では、小学生の時に林業の学習があります。それ以外には、最近、割とメディアにも林業や森林環境といったものが取り上げられることがあるのですが、そういったことぐらいなのではないでしょうか。理想的には、東京の森林が持つ存在意義というものがもっと認識されるキッカケとして、「森と暮らす」都民運動のようなムーブメントがあればよいと思います。東京には36%の森林があって、2050年には、人の手で育てられた樹齢100年の大木がひしめく森になるわけですから、ただあるだけではもったいないので、都民がその空間を気持ちよく散策できるように、早い段階からそうした意識を少しずつ浸透させていく必要がありますね。

あと、ビジネスの面から捉えた場合、すごく巨大なマーケットの東京がすぐ近くにあるので、今までは建築などといったものに特化していた木材生産を、今後は木工だとか、同じ建築でも内装材への利用にシフトしていきます。そういった意味で木材産業は、これからの時代のニーズに合った形で発展すると思います。今、檜原村で「トイビレッジ構想」という、檜原村の木材を使って、世界に通じる木のおもちゃを生産していこうという動きがあります。世界的に見て、木のおもちゃは下降傾向にあるのですが、しっかりと作られた高級品には安定的なニーズがあって、ドイツがmade in Germany というブランドで安定的に出荷をして外貨を得ています。こうした状況もあるので、made in Tokyo というのは、やはり海外に対してすごいインパクトがあります。まだまだ工夫次第で、東京の森林やそこで生産された木材の知名度は上げられると思います。

―未来を担う子供たちへのメッセージをお願いします。

今の子供たちが働き盛りになる頃には、東京に100年の森が出来ています。その100年の森は勝手に出来たものではなく、戦後、その子たちからいうと、ひいひいおじいちゃんぐらいの世代になる人たちが一生懸命植えて、暑い夏の最中には下草刈りを毎年のようにして、育ててきた森です。

そういう人たちは、木々を自分のために使いたくて植えているのではなく、自分たちの子供や孫のためにやってきたわけです。その賜物が今ある東京の36%の森林なわけです。

それが今の子供たちに受け継がれて、その子たちがその恩恵を享受できれば、植えた人たち、育てた人たちの労が報われるわけです。そういう意味では、今の子供たちには東京の森林がもたらす恩恵を是非受けてもらいたいと思いますし、恩恵を受けたならば、それをまた次の世代へ引き継いでいってもらえたら嬉しいなと思います。