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アジア通信
第13号 2011年2月28日発行
蛋白質‐リガンド相互作用研究へのSAIL 法の応用
理工学研究科 分子物質化学専攻
ヤン チュン ジン
 この数十年、生物分子NMR(核磁気共鳴)分野においては、高感度検出装置の開発、効果的な同位元素標識法、新規NMR実験技術、NMR信号の自動解析手法の開発をはじめとする顕著な技術的進歩がみられました。しかしながら、蛋白質のNMR研究に関しては今後更なるNMR 技術の最適化が必要です。甲斐荘教授等により開発されたSAIL(立体整列同位体標識)法はその一つの方向を示したものであり、蛋白質NMR研究にとって新たな発展の機会となります[1]。例えば、SAIL法を利用すれば、従来の原子レベルでの高分子量蛋白質の立体構造決定への応用に加えて、蛋白質ダイナミクスに新たな視点をもたらします。

 本研究課題はその一例として、蛋白質‐リガンド相互作用の研究にSAIL法により明らかとなるタンパク質ダイナミクス変化を応用しようと試みたものです。本課題が達成できれば、細胞表面におけるレセプターとリガンドの相互作用のような多くの基本的生物学的プロセスの解析が加速されることになり、ひいては分子標的治療薬の開発に役立つでしょう。本課題においてリガンドとの相互作用を探知するためのプローブとして、まずは芳香族残基(すなわち、His、 Phe、Trp、Tyr)を用いることにしました。その理由は、これら芳香族残基は蛋白質において疎水性コア形成に重要な役割を果たすとともに、リガンドとの接触界面での分子認識に重要な貢献を果たしているからです。しかしながら、従来の手法を用いては芳香族残基のNMR による研究は、芳香環シグナルの化学シフト範囲が狭く、またスピン結合によりシグナルが複雑化する等の理由から技術的に困難でした。

 本課題では、ターゲットとする蛋白質を、様々なタイプのSAIL-Phe および -Tyrアミノ酸を用いて選択的に標識することでこのような問題点を克服しました。即ち、SAIL-Phe と-Tyr を用いることでリガンド結合に伴うタンパク質中のこれらのNMR シグナル変化を詳細に観測できるだけでなく、芳香環の回転運動に及ぼす変化も同時に観測可能となります。 我々は、この新しい手法を検証するためのモデルシステムとしてFKBP-12 とFKBP-12.6 蛋白質を選びました(図1)。

図1. FKBP-12 (左)とFKBP-12.6 (右)の構造


 FKBP-12 とFKBP-12.6 は共にFKBPファミリー (FK506 結合蛋白質)に属します。FKBP はペプチジルプロリン異性化酵素として機能し、酵母からヒトまでの多くの真核細胞の信号伝達経路中で発見されてきました。FKBP は、臓器移植に頻繁に用いられる免疫抑制剤として汎用されているラパマイシンおよびFK506と、芳香族残基を介して主に疎水性相互作用で結合します。更に、FKBP-12はラパマイシンとFK506の仲介により、それぞれmTOR (哺乳類ラパマイシン標的タンパク質)とカルシニューリンとの間でそれぞれ複合体を形成し、それらの機能に深く関わることが知られております。FKBP-12とFKBP-12.6 は互いに85%の配列相同性を共有しており、ペプチド鎖を構成する107アミノ酸残基中、FKBP-12 には3 つのTyr と5つのPhe 残基、FKBP-12.6 には2 つのTyrと6つのPheが含まれています。

 我々は両蛋白質を様々なSAIL-Phe、及びSAIL-Tyrにより選択的に標識し、ラパマイシン、及びFK506の結合に伴うこれらの芳香族アミノ酸の芳香環NMRシグナルの変化を詳細に検討しました。その結果、図2に例示したようにζ-SAIL Pheを用いて標識したFKBP-12.6の2D[1H,13C] HSQCスペクトルにおいて、ζ-NMRシグナルのリガンド結合による変化が明瞭に観測できることが明らかとなりました。

芳香族残基であるPhe とTyrは棒モデルによって描かれる

図 2. オーバーレイされたFKBP-12.6ζ-SAIL Pheで標識化された2D [1H, 13C] HSQCのスペクトル
色の違いによってリガンドがある場合とない場合の状況が示される


 このNMRデータは極めて単純且つ明快であり、蛋白質-リガンド相互作用の観測に向けたSAIL法の有用性が雄弁に示されています。我々は今後、FKBPとリガンドとの相互作用の詳細な解明を目指して研究を発展させる予定です。

[1] Kainosho, M., Torizawa, T., Iwashita, Y., Terauchi, T., Mei Ono, A., and Güntert,
P. (2006)『ネイチャー』440号、52-57