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アジア通信
危機管理特別号 2011年9月22日発行
特別寄稿「大都市における危機管理」 東京都参与 志方 俊之

 日本の歴史の中で21世紀に入った今ほど一般市民が多様な脅威に囲まれている時期はない。まず「今そこにある脅威」としては大規模自然災害・大規模事故・大規模テロがある。3.11東日本大震災は、地震被害と津波被害をもたらし、これらによって起きた原子炉事故災害と風評被害とが複合した大規模災害であった。原子炉災害対処は目下進行中で、終息するまでに何年かかるかも分からず、予断を許さない。また、日本人は一般的にテロが日本では起こり難いと思っているようだが、地下鉄サリン事件は、「事件」ではなく世界初の大規模化学「テロ」であった。福島第一原発の事故は、原子炉本体を襲撃しなくても原子炉に電力を供給する送電線を切断すれば、大事故を誘発させ得ることを示し、原子炉に至る送電線がテロ・グループの格好のターゲットになり得ることを世界に示した。

 「中期的な時間フレームで見積もっておくべき脅威」としては、近隣諸国の軍事力が自国の安全を脅かす直接的な脅威、わが国の場合は「核と弾道ミサイルを持つ北朝鮮」の出現がある。弾道ミサイルの脅威から市民を守ることは国家の責任だが、ミサイル防衛部隊を急遽都心部へ進入させるための経路の維持と部隊を展開配備させるための地籍を確保しておくことは自治体に大きい責任がある。ポスト金正日体制をスタートさせた北朝鮮は、新指導部のリーダーシップを自国民に示す必要性からなのか、核兵器の製造に欠かせないウラン濃縮を始めるとともに、北方限界線(NLL)に近い地域で韓国の延坪島をいきなり砲撃した。これらを想起すれば、韓国の首都ソウルで対弾道ミサイル避難訓練が行われているように、少なくとも東京都の危機管理当事者は、ある日突然、東京に弾道ミサイルが落ちてくるという「考えられないことも考えておく」必要がある。ボタンを押せば数分後にわが国の大都市が灰になるという深刻な脅威に直面したのは、日本の歴史の中で今が初めてだ。

 「長期的な時間フレームで見積もるべき脅威」としては、グローバルな戦略環境の変化が、周り回ってわが国の安全を脅かす「間接的な脅威」がある。今すぐと言うわけではない「長期的な脅威」だ。わが国がエネルギーのほとんどを依存している中東地域の不安定、またブラジル・ロシア・インド・中国などの新興経済大国(BRICS)がエネルギーや食料の需要を爆発的に増大させ、世界全体が資源の収奪戦争に突入する可能性も見えてきた。大都市にとってエネルギー、食糧、水などの安定的な確保は大きい課題だが、これは基本的に国家が考えるべき脅威であって、自治体が直接的に備えるべき脅威とは言えない。

 3.11東日本大地震は、日本人が日頃は意識していなかった日本という国の「凄さ」と戦後築き上げてきたわが国の構造的な「脆さ」の両方が明らかになった。避難所で被災者が見せた我慢強さや秩序ある思いやりのある行動、眼前に迫る津波から逃げず最後まで「持ち場」から離れず任務を遂行して波に消えて行った首長、警察官、消防官、医師、看護婦たち、そして高い放射能を発している原発事故の現場で炉の収束に向けて今も闘っている技術者や作業員たちが示している献身の姿は、日本の社会が持つ「凄さ」を改めて我々に気づかせた。

 もう一つは、創設以来これまで一貫して「寡黙」を保ってきた自衛隊という集団が持つ底力の「凄さ」だった。自衛隊が真骨頂としている五つの特性、「有事即応」・「自己完結」・「大量動員」・「特殊な装備と能力」・「日米協同体制」が十二分に活かされ、さらに救援作戦に当たって「統合指揮」・「一挙投入」という部隊運用の鉄則が貫かれたからだ。とくに、放射線計測・除染・温度測定(サーモグラフィー)などの技術能力を持つ陸上自衛隊の特殊武器防護部隊が、原子炉事故生起直後から原子炉事故の現場近くで早期に投入されたことは極めて効果的であった。

 一方、3.11東日本大震災は、国と自治体の危機管理体制(法律・組織・訓練・人材育成・リーダーシップ)の脆弱さを白日の下に曝すことになった。東日本大震災は、「選択と集中」と称する市民受けする政策判断だけで、危機管理についても「費用対効果」を追い求めて努力配分を怠ってきた「国と自治体の在り方」に大きい方向修正が必要であることを我々に知らしめた。

 法律面では、大規模災害や国民保護事態が生起した場合にだけ、国家や自治体の行政を平常時モードから緊急時モードに切り替える「緊急事態基本法」が未整備である。福島原発事故を調査した国際原子力機関(IAEA)は組織面について次のように指摘した。意見集積・相互調整・合意形成を重んずるボトム・アップの日本式な平常時用組織は、短い時間内にトップダウンの決断を必要とする緊急時の危機管理には複雑過ぎて機能発揮が難しい、また緊急時に必要な現場への権限委譲のシステムが不徹底であると。

 訓練面では、小規模な訓練を多数回行っても、大規模な訓練と同じ教訓や疑似体験をすることが難しい。訓練シナリオが事前に知られた形式的な訓練を避け、シナリオを伏せたリアリスティクな訓練を行うことが必要である。人材育成については、危機管理の専門家を育成しておくだけでなく市民の中に小グループのリーダーとなり得る人材(例えば防災士の資格保持者)を育成しておくことが重要である。リーダーシップについて、IAEAは福島原発事故に関する政府や事業者の情報開示が極めて不適切であったと指摘した。市民をパニック陥らせてはならないと安全や安心を強調するあまり、かえって市民を不安にさせるという悪循環を招いたのである。いずれにせよ、危機管理体制の構築は年月を要することから、自治体にとつては遠い先の問題ではなく時間との戦いなのだという問題意識が必要である。

 東日本大震災が教えたもう一つの教訓は、大規模災害時の国際協力の重要性である。今回は一四二の国と地域、三九の国際機関が日本へ支援の手を差し伸べ、そのうち一七カ国は援助隊を派遣してくれたのであった。これらの援助が悲惨な状況の中で立ちすくむ被災者の心を如何に勇気づけたかは計り知れないものがある。

 今後ともアジア大都市ネツトワーク21(ANMC21)を通じて、我々は知識や体験を共有し、アジア大都市の危機管理当事者が相互に能力を高めあうことを期待してやまない。